久しぶりにはてなブログにログインしてみたら、この記事が下書きに残っていた。
今日で長崎に原爆が投下されてから81年。巡り合わせも感じたので、公開する。
https://www.kadokawa.co.jp/product/199999130863/
※今回の記事はニュアンス的なネタバレを含みます
ホラー、特にインターネット上でミーム的に扱われるいわゆる「因習村」系のお決まりのパターンに、主人公が古めかしい祠を壊してしまい、村の老人から「あんた、あの祠を壊したんか!?」と問い詰められる、というものがある。
(ちなみに、わたし個人としては「因習村」というカテゴリへの名づけは好きではない)
ネット上ではパロディ的に見かけることの多い展開なのだが、具体的に「祠を壊してヤバいことになる」ホラーに今まで触れたことがなかった。そんな中で、小松左京の『まめつま』という作品がそれに当たるというというのを耳にして、その話が収録されている『霧が晴れた時』を読んでみた。
それで、最も”くらって”しまったのが『まめつま』でも有名な『くだんのはは』でもなく、『影が重なる時』だった。
『影が重なる時』では、とある地方都市で奇妙な幽霊騒ぎが巻き起こり、新聞記者である津田という男がその調査に奔走する。どの幽霊も固まって微動だにせず、その都市周辺で実際に生きている人間の姿をしており、しかもその本人にしか自分の幽霊は観測できない。津田自身も自分の幽霊を発見し、謎は深まるばかり。そしてその幽霊=影と自分自身が重なる時――。
本当に恐ろしかった。そしてこの恐ろしさを、わたしは以前体感したことがあった。
広島の平和記念資料館に、「人影の石」という展示がある。
あの原爆が炸裂した瞬間に、銀行前の石階段に座っていた人の影。小学生のころ、校外学習で初めてこの影を見たとき、一瞬で命を奪われ「影」としてのみそこに永遠に刻まれるということが本当に怖くて、しばらく頭から離れなかったのを覚えている。そういう恐怖を、この話の結末に感じた。
ところで、平和祈念資料館では、子どもにショックを与える可能性のある資料を見るか/見ないかを選択させるような展示方法への変更が予定されている。
記事内で元館長が「訴える力がなく『核兵器はこんなものか』となるのが一番怖い」と仰っているが、わたしも同感だ。戦争は、見るか見ないかを自分で選択できるホラー小説や映画とは違う。自分の意志とはまったく関係なくても、惨いことが起きる世界にわれわれは暮らしている。そんな現実が恐ろしいから、小松の小説も恐ろしく感じるのだと思う。未来でも、この話が「怖い話」として読み継がれる世界であってほしいと思う。